【新商品開発に密着!Vol.1】5年越しに叶えた、富良野市産いちごを使った果肉ごろごろジャムの製造秘話とは?
こんにちは!ふるさと納税PR担当のわだふです。
今回は『ふるさと納税の新商品開発に密着!』と題しまして、富良野市が実施している地域特産品・ふるさと納税返礼品開発等支援事業を活用してふるさと納税返礼品の新商品開発を行う事業者を取材しました。
初回は星野果樹園の星野修司(ほしの しゅうじ)さん、紀枝(のりえ)さんご夫妻です。
星野さんはご自身の果樹園で採れた冷凍ブルーベリー・冷凍ハスカップをふるさと納税に出品しています。
ジャム製造ご担当の紀枝さんが新しく作るのは、富良野市産いちごジャム。多くの方が富良野市=いちごのイメージがないと思います。まさにその通りで富良野市内で加工用いちごを入手するのはとても困難だったとのこと。製造時の試行錯誤や、富良野市で果樹園をはじめられた経緯にも、ご夫婦のお茶目さが垣間見えるので、ぜひ覗いてみてくださいね。
1.何度も諦めたいちごジャム作りを5年越しに叶える
ー既存のブルーベリー・ハスカップ・ミルクジャムに続いて、新しくいちごジャムを作ることになった経緯を教えてください。
紀枝さん「私が個人的にいちごが好きで、昔からいちごジャムを作りたかったからなのね(笑)
でもここでは“うちの果樹園で採れたものを加工する”っていう方針があったから、5年くらい前に主人に相談していちごの苗を植えてもらったの。だけど元々作っていたブルーベリーやハスカップの収穫作業で忙しくて、いちごの維持管理が全くできずにそのうち草まみれになって苗が育たなくなっちゃったの。だからチャレンジはしてみたんだけど、うちで作るのは難しいと分かって諦めたんですよね。」
ー 一度諦めたにもかかわらず、紀枝さんのいちごジャムへの情熱は消えなかったんですね。
紀枝さん「そうね。どうしても作りたい気持ちが消えなくて、富良野市内のいちご農家さんを探したんです。そうしたら今年の2月にたまたま今回いちごを提供してくださった小野農園さんと知り合いました。すぐに提供をお願いしたんですが金額的に難しくて、またそこで諦めたんです。
その後も富良野市の農産物を扱う市場などに相談して探してもらったんですが、加工用のいちごはなかなか難しいと言われました。
そこでもう一度小野農園さんにお声掛けして『ぜひこのいちごを使ってジャムを作らせてほしい!』と何度もお話をさせてもらって、やっと承諾を得て提供いただけることになったんです。」
ー紀枝さんの熱意が伝わってやっとの思いで確保できたいちごなんですね。
ではジャムを作る上でのこだわりや試行錯誤した点をお聞かせください。
紀枝さん「最初はブルーベリーやハスカップと同様に、粒のまま冷凍したものを鍋に入れて煮詰めてみたんです。そしたらいちごの粒が全部残って、瓶から一粒取り出すと容量の半分がなくなってしまうから、これはダメだなとなりました。
次にいちごを細かくカットしてみたんだけど、納得のいく出来にならなくて。
結局大きいいちごは解凍後につぶして、小さいいちごはそのまま形が残せるように、バランスを調整しながら混合することにしました。
こだわったところはジャムの色ですね。鮮やかな赤色を出すために、煮詰める時間や火加減の調節に苦労しました。煮詰めすぎると色が濃く出てしまうし、強火にすると一気に水分がなくなって美味しくならない、かといって弱火だと時間ばかりがかかってしまう。調節が難しかったから何度も何度も繰り返して、やっとベストな火加減や煮詰める時間が分かるようになりました。」
ー星野果樹園さんでは、市販ではあまり見かけないパックに入ったジャムも販売されていますが、瓶タイプとの違いはなんでしょうか?
修司さん「瓶のジャムはギフト用、パックのジャムは家庭用といったすみ分けができるんじゃないかと思って作りました。パックの方は『かさばらないから持って帰りやすい』という理由で観光客の方にも人気ですね。
どうしてもジャム=瓶というイメージが強いので、パックのジャムを見たお客さんから『フルーツソースだと思った』と言われたこともあります(笑)」
紀枝さん「中身のジャムは瓶用とパック用で別々に作っているんです。パックは出し口が小さくて、瓶用のいちごジャムだと果肉が出にくいんですよね。だから別々に作って、パック用は小さいいちごもつぶしてから煮詰めていて、パックから出しやすいように工夫しています。」
▼新商品のイチゴジャムを含むふるさと納税返礼品
ジャム4種セット
(ミルクジャム・ハスカップジャム・ブルーベリージャム・イチゴジャム)
2.農家になろうと思ったきっかけは、毎日通っていた富良野農村地帯の風景
ー修司さんは北海道厚岸町(あっけしちょう)、紀枝さんは埼玉県のご出身とのことですが、富良野市に移住されたのはどうしてですか?
紀枝さん「富良野市に移住したのは30年前で、その前は東京に住んでたの。だけど主人が東京には向いてないと思ったらしく、北海道に帰りたいと言われたのね。
でも地元以外に住みたかったみたいで、都内のUターン情報をまとめているパソコンが設置されてるところに行って道内の情報を調べてたの。そしたら富良野市か黒松内町(くろまつないちょう)の2つに絞られてて、私は移住に全然興味がないから『どちらでもいいよ』と言ったら、富良野市に決まってたの。
当時はスキーが大ブームだったから、スキーができるところって聞いてすごく乗り気だったけど、雪が降る土地で暮らす1年目はすごく大変だったかな。」
ー富良野市にいらしてすぐに果樹園を始められたんですか?
修司さん「富良野市に来てすぐは農家をやりたいなんて思ってなかったです。サラリーマンを辞めて富良野市に来たからには、最終的に自分で商売をしたかったんですよ。だから富良野市のハローワークに行って、将来的に独立できそうな職業を探してたら写真館の求人を見つけて、ここでスキルを身に付ければ独立できるだろうと考えて写真館で働き始めました。
当時はフィルム写真の時代なので現像を写真館に頼むんですけど、僕の仕事は山奥にある工事現場の事務所から写真フィルムを回収することだったんです。工事現場までの道中は山や畑の中を通ることが多くて、この広大な畑を見ながら車を走らせていたら『やっぱりこの風景っていいな』と感じて。そこからこの畑を管理している農家さんも考えてみれば自営業だなと思って、『農家ってできないのかな』という気持ちにシフトしていったんですよね。」
ーそこから果樹園を始められるまでの経緯は?
修司さん「素人がいきなり農家をやるなんておこがましい考えはなかったから、写真館に農家の修行をしたいと伝えて1年くらいで辞めました。奥さんに写真館を辞めて農家をやりたいと言った時は反対されたんですよ。さらに奥さんのお腹の中に子どもがいた時期ということもあって一人でできる農業をいろいろと考えた結果、果樹園に落ち着きました。
富良野市の山部(やまべ)地区にあるいろんな農家さんで3年くらい研修をさせてもらって、1997年から星野果樹園を始めました。
1年中農作業が続くので大変ではありますが、移住した当時に目指していた自分で商売をすることができているので、果樹園を始めて良かったと思っています。」